「のんちゃんは、鳥のように歌う。」

自分100%を生きる、そんな願いを込めたブログ。

~自分が、ちっぽけに思えた時。~

こんにちは、のんちゃんです。

昨日、ある会で心打たれる話を聞きました。

そんな、人の心を打つような話には、

経験に裏打ちされた人の厚みみたいなものが感じられて、

「まだまだだなぁ…」って、

なんだか自分がちっぽけに思えた。

 

最近、自分のやりたいことや夢の話をするようになって、

同じように自分がちっぽけに思えることがよくあった。

10も20もうんと年が上の人と話した時には特にそうだ。

 

でも、昨日ふと気付いたことがある。

自分がちっぽけに思うようになったということは、

それだけ自分の立つ位置が上がったということではないだろうか。

 

言い換えれば、志高く理想も高くなったということ。

そして、ちっぽけに思えるということは、

実際にその夢と目標に向かって志を持って歩めている証拠。

そういうことのような気がした。

 

ポケモンだってそう、

ひとりジムリーダーを倒した後、

野生のポケモンもトレーナーのポケモンも強くなって、

最初は辟易する。

それでも地道に経験値を積んで成長する。

またひとりジムリーダーを倒していって気が付けば、

四天王を倒してポケモンマスターだ。

 

もちろんポケモンほどに人生は単純ではないけれど、

やっぱりeasyなゲームって面白くない。

というかすぐに飽きてしまう。

 

自分が歩みたいと思う人生も同じかもしれない。

easyにこなせる人生ではなくて、hardな人生。

別に何をもってeasyと見なしhardと見なすのか、

そんな人生の定義付けは必要ないのだろうけれど、

とにかく、

自分の願いに生きることで立ちはだかる壁を、

逃げることなくぶち壊して生きていきたい。

その先の世界には、

ずっと見たいと願っていた景色が広がっているはずだ。

 

自分がちっぽけに思えた時、

それは立ちはだかった壁を壊して前進した結果、

また新しい壁にぶつかったということ。

もしくは登りたい階段を一段登り、

今までの自分の残影を見下ろすようなイメージ。

つまり何が言いたいかというと、

自分が前進した証拠なのだということ。

 

ちっぽけバンザイ、心の中でガッツポーズ。

これからはそんな感覚で生きていけそうだ。

 

ここまで書くと、

いつも立ち返る言葉を思い出す。

「人生とは、どれだけ心震える瞬間があるかだ」

 

生きている今この瞬間、

未来を描き思いを馳せるその瞬間、

心を震わせていこう。