「のんちゃんは、鳥のように歌う。」

自分100%を生きる、そんな願いを込めたブログ。

~手作りのハンバーグ。~

こんにちは、のんちゃんです。

さっき、自分でハンバーグをこねて湧いてきた思いの話。

 

昔、多分中学生の頃、

お父さんとひと悶着起きたことがあった。

そのきっかけが、お父さん手作りのハンバーグだった。

 

お父さんはお世辞にも料理がうまいとは言えなかった。

(今は前より上手くなっている、かな。笑)

でも、時々ひき肉とか玉ねぎとかを買ってきて、

手作りのハンバーグを作ってくれることがあった。

そのハンバーグは美味しかった。

 

それでその日、

お母さんが仕事の関係で遅くなるとのことで、

お父さんが夜ご飯にハンバーグを作るということになった。

 

お父さんとはその頃から馬が合っていなかったのだけれど、

その時もなんでかひと悶着起きた。

記憶がないところも多い。

でもよく覚えているのは、

自分が何か言った一言にお父さんが怒って、

「だったら食うな!!」と、

台ふきかなんかを投げつけたこと。

自分の食べかけのハンバーグに、

ふきんが半分乗っている光景が今でも焼き付いている。

 

それから自分の部屋に上がってワンワン泣いた。

お風呂も入らず閉じこもったような気がする。

お母さんはその日帰って来なかったんだっけか、

まあ細かいことはいいや。

 

そんな昔話があって、数時間前のこと。

農学部の友達が作ったピーマンが余っていて、

せっかくのものを腐らせるわけにはいかないと思って、

ピーマンの肉詰めを夜ごはんに作った。

 

そしたらピーマンに詰めるひき肉のタネが余っちゃって、

残りをハンバーグにしようと全部を手に持ってこねた。

すると、瞬間的にそのひと悶着あった時の、

お父さん視点の光景が頭に湧いてきた。

今のキッチンの間取りと、

実家の間取りが似ていることもあるのかもしれない。

きっとお父さんはキッチンに立ちながら、

何を考えていたのかまではわからないが、

息子のことを思ってハンバーグをこねていたはずだ。

 

正直、生意気なことを言う息子だったと思う。

そりゃ息子の視点からの言い分もあるけれど、

その時その瞬間は息子のことを考えていたはず。

そんなハンバーグに自分がケチをつけたんだ。

きっと悲しかっただろう、寂しかったかもしれない。

子どもからすれば怒っているようにしか見えなかった。

もちろんその時はだ。

でも、今ならわかる、

人は悲しいや寂しいという感情を、

怒りとして外側で表現してしまう時がある。

満たされない何かに対しての咄嗟の反応だ。

 

今こうして書きながら、

涙が出そうで出ないような感じ。

心はなんだか揺れている。

 

人は感情を感じ切ってしまった方が良いと聞く。

「嘆き」のニーズがあるほどだ。

嘆きたい時は、そのニーズが満たされるまで嘆き切ればいい。

それと同じで、苦しいとか悲しいとか、

マイナスの感情も感じ切ってしまった方がいいと思っている。

そんな感情ほど感じ取ることを自分で制限しがちだが、

我慢せずに素直に受け取ればいいのだ。

「あー悲しいんだなぁ」って。

今もどこか悲しい。

10年近く経つであろう今、

ようやくあの時お父さんを傷付けたことを理解した。

 

次会う時は少し先だろうが謝ろうかな。

小恥ずかしいし、向こうは忘れていると思うけど、

それが自分の気持ちの落としどころな気がする。

でも逆に、

ハンバーグをリクエストしてもいいかもしれない、

だったら焼酎よりワインが良さげ。

ここまで浮かぶと逆に楽しい。

 

前にも書いたけれど、家族との時間は有限だ。

この世で会える時間、過ごせる時間、

最後の時を思えば悲しいけれど、有限だ。

悔いのないように、その瞬間を味わおう。