「のんちゃんは、鳥のように歌う。」

自分100%を生きる、そんな願いを込めたブログ。

~鹿児島に居ながら、東京で働くという選択肢。~

こんにちは、のんちゃんです。

あっという間に2019年も3月の終わりです。

明日から新生活が始まる人も多いであろう時期ですが、

「のんちゃんは何をやってるの?」

とここ最近聞かれることが多いような気がします。

そこで久々になりましたが少し時間を取って綴ります。

 

確かに、報告という報告はほとんどしていませんでしたが、

昨年の9月から株式会社ecommitの国内営業部に勤務しています。

(地方×ベンチャー×ガチインターン 鹿児島で世界に挑む、有給インターン募集! - 株式会社ecommitのインターンシップの求人 - Wantedly)

会社のことは写真が載っているのでこのリンクを。

自分はインターンではなく正社員の雇用で、

ちょうどこの3月で半年間勤務したことになりました。

 

そこでどんな仕事をしているかと言えば、

業界の柄もあってただ物を売るような営業ではなく、

現場とお客様と会社の意向に最適な落としどころを探す調整役が主な仕事。

もちろんその中で電話やメールで頻繁にやり取りはするし、

直接打ち合わせを行うために出張にも行きます。

 

あともうひとつ、今までの知識と経験を活かして、

社長や営業メンバーのスケジューリング・出張の手配もしています。

まさか好きで身に付いた交通関係の知識が会社で活きるとは、

出張経費を削減しているにも関わらず質は向上するということで、

人の行き来が多い会社に少なからず貢献できているようです。

 

今は関東の担当を務めさせて頂いていることもあって、

大体二週間に一度、二泊や三泊の出張で鹿児島と東京を行き来する生活です。

先週も火曜日から東京、

水曜日は札幌にいて金曜日に鹿児島に帰ってきました。

出張に行かない平日は鹿児島市内から川内まで通勤していますが、

月の約四分の一はほぼ東京神奈川埼玉栃木群馬のどこかにおります。

出張族とでも言うでしょうか、そんな生活です。

 

何はともあれ、

大学は休学、就職というわけでもない、

何とも今風な感じで大学生と社会人の二足のわらじを履いています。

  

さてさて、そうして鹿児島に居ながら東京で働いてみて思うこと。

出張に行き始めるようになってすぐは、

鹿児島に拠点を置き続けること

外での学びを鹿児島に持ち帰ってくること

このスタンスがとても心地良くてこだわり続けたいとも思っていました。

 

でも、最近になって、

東京の刺激の強さに惹かれているのが正直なところ。

やっぱり東京駅前で丸の内のビル群を見上げたりすると、

どこか圧倒されるように惚れ惚れする気持ちが湧いてくる。

いつ見ても「すげー」と呟きながら高層階を見上げています。

 

よく考えると、というわけでもないのですが、

まだ大学生の身分で新卒の切符を持っているわけです。

その切符をどう使うのか、今のキャリアの先にどんな進路が描けるのか、

はたまた鹿児島で今ある環境の先にどんな未来を描くのか、

そんなどこか答えのない悶々とした問いに日々向き合っている今日この頃です。

 

でも、

心の中には確固たるものが既にあるようには感じていて、

あとは一歩を踏み出すだけなのかなと。

それでもこうして悩んでいるときにしか得られない気付きもあるような気がして、

もう少し悩んでみたり周りの人から話を聞いてみようと思っています。

 

何のために話を聞くのか、

それはきっと自分を安心させたいんだと思います。

どの選択をするにしても、

話を聞かずして選択してしまうことの恐れを潰す。

そんな旨味を実感しつつ、

より自分の思いと決断を確固たるものにしたいものです。

 

さて、いよいよ明日から4月が始まります。

今すぐ環境に特別変化はありませんが、

なんだか今日をひとつ区切りに気持ちを改めたい気分。

まだまだ不器用な自分に、

ひとつひとつ成長を積み重ねていきたいと思います。

 

あと、新社会人を迎える友達も多い中、

どこか繋がりを信じて一緒に頑張っていきたいなと思っている。

別に偉そうに講釈を垂れるつもりは全くないけれど、

社会は思っている以上に厳しくて、働くことも大変だ。

でも、懸命に生きた人には必ず道は拓かれる

そう信じて毎日を生きていきましょ。

 

それではまた、明日が良い一日となりますように。

 

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 (出張中、東京駅丸の内駅前広場にて。)

~「自律」と「集中力」。~

こんにちは、のんちゃんです。

少し遅くなりましたが、新しい年を迎えました。

年末は帰省をして関西で過ごし、

2日の夜に鹿児島へ帰ってきました。

 

前々から3日の朝は城山に行くぞと決めて迎えた当日、

相も変わらず晴れ男ぶりは今年も健在なようです。

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さて、

この鹿児島で今年はどんな人生を歩もうかと考える時、

思い浮かぶ2つの言葉がありました。

 

それが、「自律」と「集中力」。

今年はこの2つを意識して1年を過ごしていこうと思います。

 

なぜこの2つの言葉なのか。

時々、「のんちゃんも人間なんですね!」と言われることがあって、普段から自分は周りにどう映っているのだろうと不安になるときがありますが、結構こう見えて(?)だらしない人間なんです。笑

昨年も期限が守れずに迷惑をかけてしまったこともあれば、日常生活でも布団で寝ずに床で寝てることがあったり、自分が決めたことを守れないことが多々ありました。

そんな延長線上で良い集中力が発揮できるわけがありません。ぼーっと考えにふけったり無駄に時間を過ごしたり…結果的に悪循環に陥ってしまっていることも多かったように思います。

 

そこで、どうやったら少しでもこの状況を改善して、本来ありたい姿に近づくのだろうと日々考え抜いて辿り着いた結果が、この「自律」と「集中力」を意識することだったと感じています。

 

何よりまず、「自分を律すること」。

決めたことはやり、逆にやらないと決めたことはやらない。

常に自分の判断と決断を意識して日々を送ります。

そして、良い集中力で目の前のことに取り組みます。

2019年で成し遂げたいことはたくさんあって、

それらをすべて成し遂げるための必須条件です。

 

最後に、

2019年のやりたいことと目標をまとめて終わりにします。

 

ecommitで成果を出す

(自己目標の達成から事業推進、全社目標利益8000万に貢献)

鹿児島に航空会社を作ることを悲観的に計画する

(楽観的な構想段階から170人会議を機に転じる)

かごんま若人の会の継続開催(空間の共有までしたい)

地域でアクションを起こす南大隅町・大崎町)

"本物"の人生選択支援企画を開催する(詳細はこれから)

海外研究会部長の務めを全うする(3月まで)

稲盛経営哲学プログラム修了(3月まで)

TOEIC750点取得(今600点いかないのを年内で)

HSK3級取得(8月頃の試験までに)

宅建取得(10月頃試験)

ブログの更新

「のんちゃんは、鳥のように歌う。」…綴りたいと思った時に書き切る)

「のんちゃんは、どこへでも行く。」…情報をまとめ更新し続ける)

のんちゃん|note…月1回、魂を込めて書く)

月1回ライブ配信をするfacebookライブの予定)

数学を楽しむ(主に微分積分・経済会計統計分野)

体を鍛える(せめて薄いと言われなくなるぐらいに)

 

勘のいい人は気が付いたかもしれません、

言霊を意識して実行する前提で綴りました。

目標を口にしたので、あとは走り続けるのみです。

 

もうひとつ、会社の新年初日報にも書いたこと、

よく笑いよく食べよく飲みよく働きよく学ぶ

毎日そう思いながら良き一年にしたいと思います。

 

それでは、

昨年以上に力強く逞しく生きていきます。

本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

 

 

~「頑張ったね」に、「楽しかったね」が乗っかった。~

こんにちは、のんちゃんです。

早いもので2018年が終わります。

少しばかり振り返りを綴る。

 

昨年の11月に中国留学を切り上げて帰ってきて、

それ以降ほぼニート状態から4月からは普通の大学生になり、

周りの就職祝いをしてると思ったら9月から自分が働き出す、

ある意味で生き急いだ1年だったようにも感じています。

 

でも、このスピードで歩んだ道を後悔することはなく、

そこで出会った人たちや得た気付きを嬉しく思うばかりです。

 

1年前の2017年末、facebookの投稿に、

「頑張ったね」を、「楽しかったね」に。

というタイトルを付けて投稿していた。

 

ふとfacebookから投稿を見て2018年を振り返ると、

「頑張ったね」に、「楽しかったね」が乗っかった。

今年はそんな1年だった気がする。

 

2017年以上にいろんなことに取り組んだ1年、

正直ここには書き切れないけれど、

そのひとつひとつが楽しかったなぁと思う。

頑張らないとどうにもならないこともいっぱいあって、

「頑張った」こともまた事実、

でもそこに自分の「楽しかった」があったことが何より。

 

最後にひとつ、一度大きな変化だけを書くと、

「働く」ことを始めたこと。

これはもう学生の位置からとは世界の見え方がまるで違う。

決めて進む、そして生き抜く力を身に付けていく。

さもないと自由なんぞいつまでたっても手に入らない。

厳しいようだが、それが真実ではないかなと今は思っている。

 

正直、もっともっとブログを書きたかった。

2019年もまだまだ探究期は続きそうで、

言葉にして表現をして、生きることを掘り下げていく。

2018年お世話になった皆さん、ありがとうございました!

 

(12月29日、鹿児島空港にて搭乗便伊丹行)

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~「僕は、まっすぐに生きます。」~

こんにちは、のんちゃんです。

気が付けば前の記事から2ヶ月が経ってしまいました。

 

定期試験に、集中講義、インターンシップ

夏休みっぽいことをしていないかと思いきや、

高校の同級生が鹿児島に来てくれたり、

帰省をして母校の文化祭に同級生と顔を出しに行ったり、

なんやかんや楽しみながらも、あっという間の2ヶ月でした。

 

でも、何より大きな変化は、

1週間前から鹿児島県内の企業で、

週4日の時短正社員として働き始めたことでしょうか。

なんだか突然がらりと環境が変わりましたが、

大変ながらも対応できているような気がしています。

 

さてさて、前置きが長くなりましたが、

今日はこの連休中に東京で参加した、


「南九州移住ドラフト会議2018 移住力強化キャンプ」

mlp-iju-draft.jp

で印象的だったことについて書きます。

 

初日の後半、

選手側の自分がやらかしたというか上手くできなかったことがあった。

お題が、

「それぞれの地域と選手が協力して、地域のゆるキャラを作ってください」

というもの。

 

単刀直入に言うと、

自分のチームは時間内に考えがうまくまとまらず、

全体への発表プレゼンの時に自分が、

終始しどろもどろになってプレゼンをしてしまい、

大スベリしてしまったのだった。

何より、自分があまりにも緊張してしまって、

そんな顛末を迎えた瞬間が、正直なところ苦しかった。

 

その後の懇親会も、しばらくは完全に意気消沈だった。笑

いろんな人と会話を重ねたことで次第に楽しくなっていったけれど、

本当にその一晩は不本意な現実を前に打ちひしがれた感覚だった。

 

でも、一晩思いを巡らせていた中と、

いざ2日目の朝を迎えてみていろいろと気付くことがあった。

その中でも特に印象的だったのが2日目の最後。

選手はひとりひとり2日間の獲得ポイントに応じて、

全員の前でマイクを持って話す機会をもらった。

 

そこでまた、

何を話そうかと若干テンパり気味だったのだけれど、

いざ人前に立ち、

改めて自分の名前を言い終えた後に出てきた言葉が、

「僕は、まっすぐに生きます」だった。

もしかしたら、「まっすぐにしか生きれない」だったかも。

正直、緊張で記憶が飛んでいるのだけれど主旨は同じだ。

 

その瞬間、少し笑いが起こった。

笑いが起こったことがどこか嬉しかった。

うけたというよりかは、

自分が言ったことが伝わったなという感覚だった。

きっとその前日のある種のやらかしから、

自分の人となりは既に伝わっていたのかもしれない。

それが改めて自分が言葉にしたことで笑いになったのかなと思う。

 

まぁ、周りの方々がどう感じていたかはさておき、

そんな不本意だと感じた現実も、

自分があくまでも自分らしく生きた結果だと今では思う。

真面目な話、冗談は通じない方だし、アドリブもあまり効かない。

まっすぐな人間だなと、

もう少し曲がったらいいのにと思うぐらいだ。

 

でも、それが野崎翔太という人間なんだなと、

2日目の最後、

自分の口から出た言葉を自分で聞いて、さらに納得した。

 

今振り返ってみても、

結果的に良い宣言になったのではないだろうか。

自分を装うでもなくありのままの自分を、

そうした大勢の人前で表現できたことは大きな前進だったと思う。

贅沢を言えば、

もっともっと常日頃から外側で表現できたらと思うけれど、

それもまた、修行の道かな。

 

最後に、今回の東京滞在は、

移住力キャンプの後に仕事の関係で出張を引っ付ける形になった。

そこで帰りは久々にスカイマークに乗って鹿児島まで帰ってきたのだけれど、

これがまた良かった。

 

経営の立て直しが行われてから初めて乗ったかな、

ネスレとのコラボでコーヒーとキットカットを無料で配る、

さらに薄手ながらも雰囲気の良い機内誌と高い定時運航率、

フラッグのような重厚さはなくとも全く非の打ち所がない感じ。

正直、また乗りたいなと思う帰り道だった。

 

スカイマークの現代表取締役会長かつ、

経営再建を支えたインテグラ代表取締役の佐山展生さん、

実は中学高校のOB。

このスカイマークの搭乗のことをツイートしたら、

なんと佐山さん本人からいいね!がきてびっくりだった。

 

もちろん自分が後輩とは知られていないとは思うけれど、

こうして搭乗者等のツイートにいいね!を押されているみたい。

今までからOBということもあって注目していたけれど、

今回のことでなおさら注目していきたい。

 

わずか2泊3日、されど2泊3日、

たくさんの新しい出逢いと経験ばっかりで、

ほんとに3日間だったかな?というぐらい濃かった。

さて、明日も朝からお仕事、週末は週末で超楽しみな宴が。

体調を壊さないようにまた1週間頑張ります。

 

(移住力強化キャンプの集合写真、facebook上からお借りしました。)

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~手作りのハンバーグ。~

こんにちは、のんちゃんです。

さっき、自分でハンバーグをこねて湧いてきた思いの話。

 

昔、多分中学生の頃、

お父さんとひと悶着起きたことがあった。

そのきっかけが、お父さん手作りのハンバーグだった。

 

お父さんはお世辞にも料理がうまいとは言えなかった。

(今は前より上手くなっている、かな。笑)

でも、時々ひき肉とか玉ねぎとかを買ってきて、

手作りのハンバーグを作ってくれることがあった。

そのハンバーグは美味しかった。

 

それでその日、

お母さんが仕事の関係で遅くなるとのことで、

お父さんが夜ご飯にハンバーグを作るということになった。

 

お父さんとはその頃から馬が合っていなかったのだけれど、

その時もなんでかひと悶着起きた。

記憶がないところも多い。

でもよく覚えているのは、

自分が何か言った一言にお父さんが怒って、

「だったら食うな!!」と、

台ふきかなんかを投げつけたこと。

自分の食べかけのハンバーグに、

ふきんが半分乗っている光景が今でも焼き付いている。

 

それから自分の部屋に上がってワンワン泣いた。

お風呂も入らず閉じこもったような気がする。

お母さんはその日帰って来なかったんだっけか、

まあ細かいことはいいや。

 

そんな昔話があって、数時間前のこと。

農学部の友達が作ったピーマンが余っていて、

せっかくのものを腐らせるわけにはいかないと思って、

ピーマンの肉詰めを夜ごはんに作った。

 

そしたらピーマンに詰めるひき肉のタネが余っちゃって、

残りをハンバーグにしようと全部を手に持ってこねた。

すると、瞬間的にそのひと悶着あった時の、

お父さん視点の光景が頭に湧いてきた。

今のキッチンの間取りと、

実家の間取りが似ていることもあるのかもしれない。

きっとお父さんはキッチンに立ちながら、

何を考えていたのかまではわからないが、

息子のことを思ってハンバーグをこねていたはずだ。

 

正直、生意気なことを言う息子だったと思う。

そりゃ息子の視点からの言い分もあるけれど、

その時その瞬間は息子のことを考えていたはず。

そんなハンバーグに自分がケチをつけたんだ。

きっと悲しかっただろう、寂しかったかもしれない。

子どもからすれば怒っているようにしか見えなかった。

もちろんその時はだ。

でも、今ならわかる、

人は悲しいや寂しいという感情を、

怒りとして外側で表現してしまう時がある。

満たされない何かに対しての咄嗟の反応だ。

 

今こうして書きながら、

涙が出そうで出ないような感じ。

心はなんだか揺れている。

 

人は感情を感じ切ってしまった方が良いと聞く。

「嘆き」のニーズがあるほどだ。

嘆きたい時は、そのニーズが満たされるまで嘆き切ればいい。

それと同じで、苦しいとか悲しいとか、

マイナスの感情も感じ切ってしまった方がいいと思っている。

そんな感情ほど感じ取ることを自分で制限しがちだが、

我慢せずに素直に受け取ればいいのだ。

「あー悲しいんだなぁ」って。

今もどこか悲しい。

10年近く経つであろう今、

ようやくあの時お父さんを傷付けたことを理解した。

 

次会う時は少し先だろうが謝ろうかな。

小恥ずかしいし、向こうは忘れていると思うけど、

それが自分の気持ちの落としどころな気がする。

でも逆に、

ハンバーグをリクエストしてもいいかもしれない、

だったら焼酎よりワインが良さげ。

ここまで浮かぶと逆に楽しい。

 

前にも書いたけれど、家族との時間は有限だ。

この世で会える時間、過ごせる時間、

最後の時を思えば悲しいけれど、有限だ。

悔いのないように、その瞬間を味わおう。

 

~自分が、ちっぽけに思えた時。~

こんにちは、のんちゃんです。

昨日、ある会で心打たれる話を聞きました。

そんな、人の心を打つような話には、

経験に裏打ちされた人の厚みみたいなものが感じられて、

「まだまだだなぁ…」って、

なんだか自分がちっぽけに思えた。

 

最近、自分のやりたいことや夢の話をするようになって、

同じように自分がちっぽけに思えることがよくあった。

10も20もうんと年が上の人と話した時には特にそうだ。

 

でも、昨日ふと気付いたことがある。

自分がちっぽけに思うようになったということは、

それだけ自分の立つ位置が上がったということではないだろうか。

 

言い換えれば、志高く理想も高くなったということ。

そして、ちっぽけに思えるということは、

実際にその夢と目標に向かって志を持って歩めている証拠。

そういうことのような気がした。

 

ポケモンだってそう、

ひとりジムリーダーを倒した後、

野生のポケモンもトレーナーのポケモンも強くなって、

最初は辟易する。

それでも地道に経験値を積んで成長する。

またひとりジムリーダーを倒していって気が付けば、

四天王を倒してポケモンマスターだ。

 

もちろんポケモンほどに人生は単純ではないけれど、

やっぱりeasyなゲームって面白くない。

というかすぐに飽きてしまう。

 

自分が歩みたいと思う人生も同じかもしれない。

easyにこなせる人生ではなくて、hardな人生。

別に何をもってeasyと見なしhardと見なすのか、

そんな人生の定義付けは必要ないのだろうけれど、

とにかく、

自分の願いに生きることで立ちはだかる壁を、

逃げることなくぶち壊して生きていきたい。

その先の世界には、

ずっと見たいと願っていた景色が広がっているはずだ。

 

自分がちっぽけに思えた時、

それは立ちはだかった壁を壊して前進した結果、

また新しい壁にぶつかったということ。

もしくは登りたい階段を一段登り、

今までの自分の残影を見下ろすようなイメージ。

つまり何が言いたいかというと、

自分が前進した証拠なのだということ。

 

ちっぽけバンザイ、心の中でガッツポーズ。

これからはそんな感覚で生きていけそうだ。

 

ここまで書くと、

いつも立ち返る言葉を思い出す。

「人生とは、どれだけ心震える瞬間があるかだ」

 

生きている今この瞬間、

未来を描き思いを馳せるその瞬間、

心を震わせていこう。

 

〜家族との時間は、有限だ。〜

こんにちは、のんちゃんです。

久々の帰省で関西まで帰ってきました。

今は実家を目指してJRの車中です。

帰省するに、家族の時間を思ったので書きます。


いやー、有限なんですよね。

この先家族と過ごせる時間って。

当たり前のことなんだけど、

なんだかこう鹿児島から関西に帰ってきて、

強くそう思うんです。


最近、お父さんが大の焼酎好きになっていて、

いつもは五合瓶二本で多いぐらいなのだけれど、

今回は、

昨日の夜アミュ地下に買いに走って、

そんでもって一升瓶二本買っちゃって、

その二本を手に帰ってきちゃった。


鹿児島で生活していると、

関西はどこか異世界のようにも思えて、

あの時と何も変わらない世界がそのまま待っているように感じる時がある。

あの現実が、

この先もずっと続いていくような感覚。


でも、いざ帰ってみると、

街は少しずつ変わっていて、

人も歳を取ったなぁと感じる。

あの時の現実は、

もう二度とやってこないんだと実感する。


有限だ、って思うってことは、

近い将来なのか遠い将来なのかわからないけれど、

終わりを意識するようになったということなのだろうか。


今ある当たり前が、

いつか当たり前でなくなってしまう。

そんな感覚をリアリティを持って、

抱くようになったということのような気がする。


いつかやってくるであろう最後の時を思うと、

どこか儚く、切ない感じもする。

だからどうしろってわけでもないのだけれど。


今、大雨でJRの運転見合せを食らっている。

なんでこう大雨に弱いのだと嘆きたくなる。

仕方ないとはわかっていても、時間が惜しい。


お母さんが料理を作ってくれて、

お父さんは焼酎を、

今か今かと待っているらしい。

今まで感じられらなかった、

もしくは感じようとしなかった、

家族の温もりを感じる時なのかもしれない。


~のんちゃんが、鹿児島に描く未来。~

こんにちは、のんちゃんです。

久々の投稿になります。

今日この瞬間、のんちゃんが鹿児島に描いている未来の話を簡単に書きます。

全部詳細を書きたいぐらいですが、今回は概略的にまとめながら書きます。

(あと、どんな位置にのんちゃんが立って未来を描いているのかも書きました。)

 

まずは、

【のんちゃんが今後やりたいと思っていること】

・鹿児島に航空会社を作る

大隅半島を世界的に環境先進地域にする

・県内に鹿児島大学のサテライトキャンパスを作る

・騎射場に本屋さんを作る

 

現在進行中で、南大隅で最先端田舎塾という企画も進めている。

実際のDOのところではざっとこんなところかな

この過程でさらにやってみたいことはいろいろあるけれど、

その詳細はまたの機会に譲りたいと思う。

 

そして、DOの先にあるBEの目指したいところも書いてみる。

【こんな鹿児島になったらいいな】

・人口減少社会日本において、未来を創造する先進地域であること

・他地域に依存せず、必要なものは自身で賄う持続可能地域であること

・鹿児島に暮らす人たちが、心穏やかに生きられること

 

うまく伝わるかわからないけれど、

のんちゃんはこんな未来を鹿児島に描いていて、

頭の中ではいろんな構想が日々グルングルンしている。

 

そんなの無理だろって思うことばっかりかもしれない。

でも、のんちゃんの感覚では、

全部実現するような気しかしていないのが正直なところだ。

 

ちょうど昨日の話、

「身の程で生きることを身に付けないと生き地獄」

「身の程で生きることが幸せだ」

そんな趣旨のTwitterの投稿が流れてきた。

果たしてそうだろうか。

 

もちろん前提として生き方は人それぞれ。

だからその生き方を否定するつもりはさらさらない。

だけど、のんちゃんはそんな生き方をしようとは思わない。

いいんじゃないかな、身の程知らずだって。

もちろん、

真摯な努力はあって然るべきだと思うけど、

その時は背伸びをした夢であろうと、

途方もない夢であろうと、

本心からの願いと喜びがある夢ならば、

たとえ人から指を差され笑われたって、

ありのままに夢を描けばいいと思う。

なぜ身の程という言葉で自分の可能性を決めつけてしまうのか。

可能性はいつだって無限大、そう信じていたい。

 

これも最近聞いたことだが、

世の摂理として「情報がないところに、物理はやってこない」そうだ。

聞いてまさにその通りだと思った。

夢を描き、あとは信じて進むのみ。

そんな位置にのんちゃんは立っているのかな、と思う。

 

なんだか書き足りないような気もするけれど、

ここまで記して終わります。

 

最後にお知らせです。

自分の講演会を自分で企画するということしています。

のんちゃんが「人生の過去と今と未来」を語る会facebookページ)

今回記事にした未来についてもより詳しく話す予定です。

 

本当はこの記事を書き始めたとき、

少し告知を意識して違うタイトルで書き始めたのだけれど、

やっぱり途中で言葉に詰まってきて最初から書き直しました。

結局は、書きたいことを書きたい言葉で書きたいだけ書いていたら、

のんちゃんのことも知ってもらえるだろうし、

巡り巡って告知したいという思いも満たされるだろうと思うので、

今までこのブログで大切にしてきたことを大切にして更新していきます。

 

でも、気がかりに思うのが、

最近思考に言葉が追い付いていない感覚があって、

読みにくくて伝わらない文章なのでは、ということ。

今日の記事もいささか不安があるのですが、

大切にしたいことを大切にしながら表現する、

ということも練習あるのみだと思うので、

しばらく更新を続けていくことを意識していこうと思います。

 

なんだか最後も長くなりました。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。