~願いの裏に。~
こんにちは、のんちゃんです。
人は皆、願いを抱いている。
その願いの裏には、いろんなものが詰まってるんだなぁ、
と感じたお話。
今日も夜から勉強会に参加していて、
なんだかその場にとても満たされるものがあった。
さっきそんな帰り道に、閃いた。
のんちゃんは、
「どこへも行けなくて、何にもなれないこと」
を強く恐れているのだなぁ、って。
昨日、「どこへでも行ける、何にでもなれる」って、
自分の願いの話を記事に書いたのだけれど、
まさにその願いが叶わなかったような表現だ。
願いの裏には、恐れが隠れていた。
そう気が付いて、
少しびっくりするような、やっぱりなと思うような、
なんかそんな感じだ。
もしかしたら、
「どこへでも行ける、何にでもなれる」
って強く信じることで、
恐れをかき消そう、押さえつけようとしているのかもしれない。
というか、きっとそうだ。
全部じゃないにしても、
そんな自分がわずかでもいるのは間違いない。
でもさ、昔だったらこの恐れに対して、
「もっと強く信じないと!!」
「絶対できるぞ!!」
「うぉおおお!!」
って思ってた気がするんだよね。
もう何が何だかわからずとにかく自分を鼓舞するみたいな。笑
それが今だと、
「恐れてんだな~」って思ってる。
自己受容って言っていいかな。
表現がうまく見つからない感じがするのだけれど、
こうして自己受容ができていることで、
自分の未来を真っすぐに見つめられているというか、
恐れをかき消すことが目的にならず、
自分の願いを生きられるような、
そんな位置に立つことができているような気がする。
さて、のんちゃんの願いの裏には恐れがあったのだけれど、
周りの人の願いを思ったり、
実際に聞いたり感じたりしたときのことを思い出すと、
願いの裏には恐れに限らず、
葛藤・あきらめ・挫折・苦しみ・痛み…
いろんな感情や経験があるのだなって、
自分のことを考えると同時に思った。
願いを生きるって、僕には恐れが立ち上がる。
でも、そうやってそれぞれ抱えているものがありながら、
みんな必死に願いを生きようとしているのだな、と思うと、
どこか繋がりを感じるし、少し安心する感覚もある。
仲間がいる、という感じかな。
「自分が自分であり続けると、世界から祝福される」と聞く。
この、祝福される、という表現が僕は好きだ。
みんながみんな祝福されて、
お互いに、祝福し合える世界になるといいな。
今日はここまで。
良い日になった、お祝いだ。